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コントロール

今、ちょっとした看病ハイになっているので、

少し意識的にペース落として休まないとダメだ。

長期戦なので、ほどほどに力を抜いて。

それはなにも、看病に限ったことじゃないけどね。

僕の病気の治療も、誰かと仲良くなる早さも、きっと少しずつの方がいいし、その方がずっと楽しい。


少しずつ秘密を打ち明け合ったり、

お互いの大事な本を交換して読んだり、

一緒に散歩に行って、お気に入りの裏通りを見つけたり。

そんな時間を共有できた人とは、きっとすごく仲良くなれる。

音楽も、ただ一緒に作るだけじゃなくて、

ほんとうに一緒に作る曲を好きで、どうしてもその作業に関わりたいっていう気持ちがつよくあった方が、

絶対、絶対、いいものができる。

少なくとも、僕はそう信じてる。


それに、ただ一緒にいるだけで楽しい、って思える関係もある。

お互いに黙っていても平気、

でも喋っても平気。

タブーをあえて犯したくなるような。

自分のことを、できるだけ、できれば全部(それはもちろん不可能だけど)知って欲しくなるような。

きっとそれは、同性同士でも異性同士でもいい。

ソウルメイトってそういうものだよね。


苛々することも、焦ることも、誰かのために悲しんだり怒ったりすることも、

きっとそんなに悪いことじゃないんだよ。

ただ、自分で自分をコントロールできないことが、はがゆくて苦しくて仕方ないんだと思う。

だから、自分の気持ちを言語化する練習は、普段からしておいた方がいい。

そういう作業を、誰かを相手に喋ることでしてもいい。

でもそんな相手に出会えることはほんとうに稀だから、そういう相手はうんと大事にした方がいい。

このブログの目的には、気持ち言語化の練習、誰か話をできる人を見つけることへの希望、

そんなところにある。

あともちろん、文章や歌詞を書く練習ね!

 

 

 


Lucy | essay | 18:13 | comments(0) | trackbacks(0) |

絶望経由希望行き

東京のこの夏はキビシイけど、

炎天下のアスファルトの上を何キロも歩かないといけない、とか無茶を言われなければ、

今くらいの暑さには慣れてきた。

電車の中は涼しいし、その気になればどこででもつめたい飲み物が買える。

もう、暑いとか言ってる場合じゃないし。

ただ、僕にも自分の病気があるので気をつけないといけない。

今は気持ちだけでなんとか動けているけど、僕が倒れちゃうとさらにいろいろまずいので。

だから倒れないよ。

それに、まだ鳴らしていない音がある。

だから水を吸ってでも生き抜くよ。


ナイフが僕の首に突きつけられても、

ピストルが僕の背中を狙い撃とうとしても、

そんなことは気にもならない。

もちろん、怖くない、っていうわけじゃない。

多分それでも僕の味方をしてくれる人がきっといるって、思っていられるっていうだけ。


逆に言えば、そういう時に味方をしてくれないような人の言葉なんかに、

傷つく必要なんかない。

僕はもう、小さな子供じゃないけれど、

そういうことを分かるようになるまではすごく時間がかかったよ。

そして分かるだけじゃなくて、実感できるようになるには、さらにもっと長い時間が要るんだよ。


小さな恋のメロディのラストシーンを、希望じゃなくて絶望だって言う人もいるけれど、

僕は、絶望経由希望行きだと思ってる。

多分、ほんとうの絶望を味わった人にしか、ほんとうの希望は歌えないんだよ。

だから、人は傷つくべきだと思う。

それは、怖いものなんかないなんてうそぶいている人より、

ずっと言うのが難しい言葉だとしても。

 

 

 


Lucy | essay | 02:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

猫の眼奇譚

くるくる変わる仔猫の眼の色のように、僕の心もくるくる変わる。

晴れたり、曇ったり。

だけどおおむね、だいじょうぶ。

今みたいに気持ちが緊張していると、聴きたい音楽もいつもとは違ってくるのがおもしろい。


ただ優しいだけの音楽よりは、つよい音楽を聴きたくなる。

心のつよい、曲のつよい、歌詞のつよい、そういう音楽。

そういうものが敏感に、すごくはっきり分かるようになる。

誰かに優しくするなんて、簡単なことだから。

だけど人は、少なくとも僕は、それだけじゃ全然足りないから。

今はつよい気持ちが、欲しいと思う。

多分、誰かにそう思ってもらえるような歌は、まだ僕には作れない。

足りないものがたくさんあるから。

まだ僕が経験したことのないことがたくさんあるから。

だから、つよい歌を通して、そういう経験の先にあるものをちょっとだけ分けてもらっている感じ。


でも、怖いのは、外から受ける苦しみじゃなくて、

自分の内から負けがこんでくることだと思う。

だから僕は心では、誰にだって負けてやらない。


僕は絶対悪くない。

それは僕の主治医の先生が、僕にかけてくれている魔法。

だからと言って、ひとりで生きていけると思うほどうぬぼれているわけでもない。

大事な人を大事にできれば、あとのことはだいたいでいい。

それ以上のことはもう、運だと思っている。


きっと、誰もが誰かを好きで、

誰もが誰かを嫌ってる。

それはもう、どうしようもないことなんだと思う。

僕は、両親には感謝はしている。

でもそれは、好きっていうこととは違う。

健康で、生きていて欲しいと心から思っているけれど、

それは好きっていうこととは違う。

 

 

 


Lucy | essay | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0) |

音と音楽と。

毎日、嫌って言うほどいろんな問題ややるべきことが持ち上がるけど、

ネットや音楽の中でくらいはファンタジーでいたいと思う。

毎日、夕方が来る度に嬉しくなるように。

ほぼ毎日、綺麗な時間、綺麗な街並、綺麗な川原がやって来る。

そんな綺麗な瞬間が約束されていないのは、人の気持ちくらいかもしれない。


僕は、自分で何もかもできると考えるほど思い上がってなんかいないし、

誰かの助けを借りることを、感謝こそすれ、悪いことだとは思わない。

助けを借りたい時に借りられるのは幸せなことだし、

中には意地の悪いことを言う人もいるかもしれないけど、それでも僕は卑屈になんかならない。


僕に音楽があって、音楽を通した出会いがあって、ほんとうによかったと思う。

嫌な気持ちも、嬉しい気持ちも一緒に、感情の全部を込めて作る。

歌は歌ったら形もなく消えてしまうのに、いい歌は人の心のある場所を確実に占めてしまう。

そこには多分、法則もなければ時間の前後もない。

ほんの少しのテクニックと、伝えたいたったひとつのことがありさえすればいい。

それは例えば、大好きな人に分かって欲しい何か。

大嫌いな人を呪い殺したい何か。

きっと僕のそんな気持ちは、僕にとって何よりも強い。


MacMacにつながっているシンセの電源を入れて、DAWを立ち上げれば、

魔法のように音が出る。

そんなことが、とても愛おしい。

やっぱり気持ち、込めやすいから。

アナログシンセのあったかい音。

プラグインの尖った音。

どっちも好き。

違った色の音を組み合わせて、マジックが起こる瞬間は、

ほんとうに言葉では言い難い。

うん、ちょっと無理矢理例えるなら、真夏の暑い空気の中を、涼しい音が包み込むような。

あるいは、音が音楽に変わる瞬間のような。

 

 

 


Lucy | essay | 03:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

ひとつ心に決めていること。

音楽みたいに何の役にも立たないものが、僕は大好きで。

今の僕の状況みたいにリアルな問題が山積みの時には特に、

そういうものにそばにいてもらうことが必要で。

 

だから、どんなに状況が大変になろうと、僕は音楽は辞めない。

元々そんなに制作ペースが速いわけでも、

丸一日中シンセに向かったりしているわけでもないから、時間は作ろうと思えば作れる。

 

眼の前の課題を淡々と事務的にこなして、大変だとか面倒だとか、余計なことは考えないことにする。

そして僕は、どんなことがあっても実家には帰りたくない。帰らない。

あんな嫌な想い出ばかりの場所で暮らすなんて、考えられない。

実家に帰るなんていうことになったら、せっかく少しずつよくなっている僕の病気は、

絶対に悪い方へしか動かない。

もし実家方面で用事がある時は、どんなに大変でも、今の部屋から通ってその用事をこなす。

そうやって僕は僕を、絶対に絶対に守るんだ。


あんな大きいだけの家、さっさと売るなり貸すなり処分するなりしてしまえばいい。

妹の名言「家の大きさと家族の仲の良さは、反比例する」



ここにしかないどこか。

君しかいない誰か。

取り替えの効かないいくつかのものはもう、ハルカカナタに消え去ってしまったけれど、

記憶だけが残っている。

僕を僕だって保証してくれるものなんて、

もうそんな記憶しかないのかもしれない。


だけど僕は、ただそれだけあれば十分だと思う。

 

 

 


Lucy | essay | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |

少しだけリアルな話。

いろんなSNSで報告していますが、父親のとりあえずの検査結果が分かりました。

心配してくださったみなさん、ありがとうございました。

まだまだ先は長いので、引き続きほんの少し、気にかけていただけると嬉しいです。

結果は、最高ではないけれど、最悪でもないといった感じ。

入院自体は二から四週間見て欲しいとのこと。

もういろいろ働いてきたんだから、少し休んで欲しいなとも思います。

ただ今後、お酒を控えたり(できれば断って欲しいけど)、肥満に気をつけたりはして欲しいけど。

今回の件では、親戚、近所の人など、ほんとうにいろいろな人の手を借りてしまいました。

例えるなら、もうリアルサマーウォーズ状態。

季節も妙にかぶり過ぎ。ならきっと、ハッピーエンドが待っている筈。

なんかもう、親類縁者一丸となって事に当たっているという感じで、ものすごい一体感です。


これから病状がもっと安定してきてくれれば、

もっと少ない人手で足りるようになるだろうけれど。

幸い僕は時間をとれる状態なので、こういう時こそできることはしようといった気持ち。


とは言え、昨日は一日休めて、そして動いているよりも逆に疲れが出ちゃったけれど。

物理的に動く他にも、疎遠だったいろんな人達と話をしたり、お礼を言ったり、メールを書いたり、

いつもと違うことをしていたので身体がびっくりした感じ。

長期戦になると思うので、少し手を休めながらじゃないともたないよね。

妹もすごく動き回っているので、一日休ませてあげたいと思う。

ただ彼女の場合、休んでも子育てがあるので、気を抜けなくて僕よりもっと大変だと思う。

でも僕は、昨日みたいに部屋にいるだけだと、逆に気持ちが急いて落ち着かないけど…。

あと、母親がまいってしまわないかも心配。

父親もベッドの上で、母親のことを心配しているくらいなので。



まあ、心配したからと言って状況が変わるわけではないので、

僕は気は遣っても、ただ自分ひとりの中で完結するだけの心配はしないつもりだけど。

なんとかなる。

それでも生きていける。

今、一応健康な(病院へは通ってるけど)僕が言えるのは、それくらいのこと。

 

 

 


Lucy | days | 05:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

velvet

夕方の街に涼しい風が吹いて、ほっと息が吐ける頃、

空は魔法がかかったように、むらさき色に暮れてゆく。

そんなヒカリも一瞬の出来事で、あっという間に夜が来る。

空を見ると、綺麗な半月。

僕は君に空から見守ってもらっているような気持ちになって、

すごく心強く、そして、ほんのちょっとだけ怖いような感じがした。


そんなこと錯覚だって言うこともできるけれど、

それを言ったら世の中のことほとんど全部は錯覚だと思う。

この感情が錯覚でもいいなら、君に誓ったたくさんの言葉達が、

いつか溶けてこの世から消えてしまうことさえも、平気な顔で受け入れなくちゃならないのかな。

そんなことを考えていると、錯覚である方がいいのか、ない方がいいのか、

分からなくなってくるね。

でもそれは免罪符でもなんでもないんだから、

君の気持ちにうぬぼれることは、僕は絶対にしたくないんだ。



いくら僕が悲しんでも、それで誰かに復讐できるわけじゃない。

だけど、悲しむことそのものは無駄じゃないって思っていたい。

少しずつ感情を吐き出さないと、ココロそのものが固くなって何も考えられなくなる。

君と一緒に立てた復讐の計画も、君が僕のためにほんとうの本気で怒ってくれたことも、

僕は絶対忘れない。

誰よりも、僕のそばにいてくれた。

誰よりも、僕のために泣いてくれた。

だけど、僕は何も返せなかったように思う。

君がそんなことを望んでいないことも分かっていたけれど、

僕が何か少しでも、気持ちを返したかったんだ。


世界はあるがままにあるとしても、

僕達の意思は僕達ひとりひとりのものだと思うんだ。

 

 

 


Lucy | essay | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) |

ending and beginning.

今日も暑かったけど、いつかはこんな暑さも終わるって思えるから耐えていられる。

それは、暑さに限ったことじゃないけどね。

いつか僕の何もかも、痛みや苦しさ、歓びや初期衝動も終わる時が来るだろうけれど、

それは今じゃないと信じてる。


世界のほんとうの終わりについて考えるのは、多分、生きていく上で無駄じゃない。

もっと言うなら、無駄でも構わない。

そして、僕達はそれを無闇に怖がる必要も、きっとない。

僕は、自分がマテリアルなものにどっぷり浸かっている人間なので、

それを失くすのは確かに怖いけれど、

ほんとうに怖いのはそういう考え方そのものだと思う。


自分が何もかもコントロールできる、っていうのは、

ごく限定された時間と空間の中で起こり得る錯覚に近い感覚。

そういうものが必要な時期が人にはあるっていうことは否定しないけど、

多分そういう考え方は、遅かれ早かれ行き詰まる。

そうなった時から、僕達は生き直さなくちゃならないんだと思う。



最近、メトロファルスの歌が、そこに在るヨタロウさんの歌声が、ほんとうに心に染みる。

ヘンな言い方だけど、このバンドの歌は身内に大病を患ってしまった人が出たり、

実際に身近な人の死を経験したりした時に、ほんとうの力を発揮するのではないかと思う。

父親の入院している病院へのお見舞いの行き帰り、

iPhoneでメトロファルスの歌を聴いていると、心からそう思う。


「私は"死"というものをぬきにした芝居には興味を持たない」

って言い放った、僕の大好きな伊沢磨紀さんという役者さんがいる。

僕は、自分で歌詞を書く時に、いつもその言葉を思い出す。

僕も同じだ、って思うから。

もしかしたら、そんな風に安易に考えることは危険かもしれないけれど、

そういうリスクを犯しもしないで、ただ流行り言葉を並べるだけで、

心を打つ歌詞が書けるわけがないって、僕は思う。

それはこれからもずっと、僕について回る永遠の課題みたいなもの。

それを嬉しいなって思える自分を、僕は誇ろうと思う。

 

 

 


Lucy | essay | 04:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
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