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コウカノオト オフィシャルブログ
2011.11.30 Wednesday
11月も終わり。
もう少し曲作りとかアレンジとか進めたかったけど、とりあえずはこんなものでしょう。
あまりさむくならなかったから、エンジンがかかりにくかったね。
12月はさむくなってくれるかな。
冬ごもりしている感じがしてくると、僕はもう音楽を聴くことと作ることしかしたくなくなる。
その冬ごもりに必要な、新しい電気ストーブもすごくあったかくって、
この冬はエアコン無しで乗り切れそう。
◆
何にも信じないで生きていられる人なんかいないと思うけど、
誰のことも特別な恋愛感情では好きじゃない人や、
もし好きでいても、相手に気持ちを告げる必要のない人はいると思う。
つまり、生きていくのに恋愛は必ずしも必要ではないということ。
なんとなく、僕はその方が自由な感じがするんだ。
逆に言えば、人間関係のいろんな形を、疑似恋愛関係って呼んだり、共依存って呼んだり、
視点を変えることで関係性も簡単に変わってしまう。
そして人間関係っていうのは一度変わったら、二度と元には戻らない。
言ってしまった一言を、なかったことにはできない。
でも、なかったフリをすることならできる。
複数の人間がお互いになかったフリをすれば、それはなかったことになる。
だけど、僕はそんなの嫌だから。
今まで一度嫌いになった人を、もう一度好きになることはなかったな。
でも好きだった気持ちはその気持ちだけ凍り付いて、ずっと心の奥にしまっておけるから、いいんだ。
誰かを嫌いになることは、好きだった頃の気持ちが嘘になることじゃない。
だからその点では、僕は、噓吐きじゃない。
僕っていう人間が何人もいる気がする。
僕はいくつもの世界を、生きている気がする。
2011.11.30 Wednesday
同情されるのって嫌いじゃない。むしろ好き。
もちろん、僕の気持ちを全部汲んでもらえるわけなんてないって分かってる。
でも、汲もうとしてくれる人の姿勢が、すごく有り難く感じる。
だから、他人が僕に向けてくれるそんな感情に感謝して、
その人がいつかすごく苦しい事態に陥った時、僕もお返しできるといいなって思う。
できれば、そんな僕の気持ちを受け入れてくれる人だといい。
無償の愛情っていうのは、存在しないんじゃないかって僕は思い始めているから。
相手に受け入れてもらえるのが嬉しいから、もしくは自分も満足するから、
愛情を注ぐんじゃないのかなって。
その時点で、その愛情はきっと報われているんだよ。
だけどそれは、もう無償じゃないよね。
◆
でも世の中には、同情されるなんてまっぴらです、っていう人もいる。
それは思うに、自分の惨めな姿や心をさらすのが嫌だから。
僕にはメンツなんてないから、そんなものいくらさらしてもいいんだけど、
やっぱりでも相手によるかな。
誰でもいいっていう訳じゃないかも。
強いて条件を挙げるなら、僕のすごく嫌いな人に同情されても困っちゃうかも。
お前に言われたくねえよ、って。
やっぱり、好きな人に同情して欲しいだけかも。
わがままだよね。
2011.11.29 Tuesday
可愛さあまって憎さ百倍、という言葉があるけれど、
愛し続けるから憎むのか、憎み続けるから愛するのか、
そんな風に同じ直線上に定義される愛も憎悪も、両方とも中途半端だよね。
愛に関してもうひとつ。
愛の反対は無関心だっていう言葉があるけれど、ほんとうにそうなのかな。
もしそうなら、この世界には無の他には愛しか存在しないことになるよ。
そんなの絶対信じない。
前にも書いたことかもしれないけれど、もう一度はっきり言っておきたい。
苦痛は絶対、愛じゃない。
愛って、むずかしい。
だから僕は、大好きとか恋してるとかは言えるけれど、愛してるとは上手く言えない。
(英語だと全部、loveでくくっちゃうのかな。cherish、とか、care、とかも使えるけど。
英語以外の言語ではどうなのかな…。)
自分でも分かっていない感情を、他人には向けられない。
でも、永遠の愛も、永遠の憎しみも、永遠の安らぎもないのがこの世界なんだと思う。
そんなの、何の解決にも何の救いにもなっていないけど。
想いは、重い。
言葉遊びじゃなく、ほんとうに肩にずっしり重い。
多分いろんな想いの、いろんな想い方で、質の違う重さになるんだと思う。
ごめんね、それでも好きだよ。ゆるしてね。
2011.11.29 Tuesday
あまりにも今更なんだけど、
シンセを使って曲を作る場合、音色を作ることとアレンジをすることとは、すごく深い関係にある。
コインの表裏と言ってもいいくらい。
ある音色ができたから、新しいアレンジが浮かぶ、ということもあるし、
アタマの中で作った、あるアレンジを表現するには、ある音を作らなくちゃいけない、ということもある。
なので、もっとシンセの勉強したい。もっと、深い、深いところまで知りたい。
ソフトもハードも両方とも。
そして現時点でのもうひとつの問題は、楽曲の要請に対して僕の肺活量が足りないこと。
ボイトレとかしてないからな…。
声質自体はこのままで、肺活量だけ増やしたいな…。
最悪、ちっちゃな声でささやいて録音して、アンプで音を大きくするか。
ライヴの時が怖いけど。
はっ、こんな時こそ初音さんの出番?
でも初音さんだけだと違うから、デュエットできればいいんだけど。でもそれもむずかしいな…。
ええい、いっそむずかしくても歌った方が早い!、ってなっちゃうよな…。
◆
どこにもない丘を探して、架空の地図を見つめ直せば、
川の流れてくる先に、君の願いが埋まってる。
君のくるくる廻る紅い眼も、ひざから下が長い足も、
今頃すっかり変わり果て、春が来るまでさようなら。
春になったら少しずつ、君の香りが溶け出して、
枯れてしまった古い樹に、光る空気を灯してく。
そんな心に咲く花は、君がもう一度生まれ直すことを祝うように、
君や僕の痛んでいた心を、空に溶かしてしまうだろう。
分からないことは、分からないって言えばいいんだよね。
それはちっとも、怖いことじゃないんだよね。
2011.11.28 Monday
昔に戻りたいなんて思わないけれど、
それでも僕の過去を否定しないで欲しい。
ほんとうに酷いことをされてきたし、してきたけれど、
それでも僕はこの心と身体で生きてきたんだよ。
僕の持っているものなんて、君が驚くほど少しだと思うけれど、
調べたり勉強したり、好きな人の気持ちを想像したりして手に入れてきたそんなものには、
その時の僕の間違いと傷と、その時の感情につけた名前が刻まれている。
それ以上を欲しがる前に、そんな手持ちのものでどれくらい恋に近づけるかを試したいんだよ。
僕が理解できるのはいつも、不幸な人のことばかり。
幸せになりたいって僕がどんなに思っていても、それはきっと机上の空論。
信じられるのは相手の涙だけだから。
幸せな人を、より幸せにするものは作りたくはない、っていうのは大好きなマンガ家さんの言葉。
死というテーマから離れた作品には興味ありません、っていうのは大好きな役者さんの言葉。
僕が、僕だけの言葉で語れるものは何だろう。
でもきっと、オリジナルなんて存在しないんだ。
アーティストって呼ばれる人は、誰もが何かを吸収して、何かに影響を受けて、そして模倣して、
そこに自分のエッセンスを足して作品を新しく作るしかないと思う。
だから僕も僕の作るものも変化する。
それが自然な流れだと思う。
そして僕は、野菜が少しずつ大きくなるように、果実が甘い実をつけるように、
何かを作って生きていければいいなと思う。
例え行き着く先が死だとしても、種が結ばれれば、誰かの心の中で生きられれば、それでいいのだと思う。
2011.11.28 Monday
さすがにもう朝方はさむくなってきて、この冬初めて靴下を履いた。
もこもこの素材でできている、あったか靴下。(でも外へ買い出しに行く時は、まだ裸足にサンダル。)
桃色の手袋も、真っ白なセーターも、昔の彼女に編んでもらったやつがある。
でも手袋はともかく、白いセーターは汚すのが怖くて着られない。
クローゼットの中で眠ったまま。
もったいない気もするけれど、汚すとほんとうにもったいないので。
ちなみに僕がその子に縫ってあげたスカートには、裏地をつけてなかったね。ごめんなさい。
その当時は、スカートに裏地が必要だなんて知らなかったので。
好き過ぎる人へのプレゼントは、いろいろ行き違いがあるものです。
◆
美味しいお酒が醸されるように、
よく考えを練られて作り上げられたものや、涙が出そうな憧憬を呼び起こしてくれるものは、
時間が経つごとにその味わいを変えていく。
できたても、しばらく味わったあとも、何か相性のいいものと合わせても、
美味しくいただけます。
でも、他人との関係や僕達の感情は、必ずしも時間と共に美味しくなるとは限らなくって。
むしろ思い通りにならないことの方が多くって、昔の僕はそんなことに苛々してばかりいた。
やっと最近、そういうことを楽しもうとしたり、
流れに身をまかせてみようと思うようにもなってきた。
そういう意味では、少しだけ生きやすくなってきたかもしれない。
だけど時々やっぱり、そうそう上手くいかないこともあるけど。
多分、この世界には美しいものばかりがあるわけじゃない。
でもそれは悲観することじゃない。
なぜならだって僕達に、まだ美しいものを作り出す余地がそこにはあるっていうことだから。
それは、世界からの贈り物。
それは、僕のささやかな希望。
2011.11.27 Sunday
部屋を真っ暗にして、ろうそくの明かりだけ灯す。
そのゆらゆらゆれる明かりをじっと見ていると、それだけで軽いトランス状態になる。
空気がゆれる。
僕の考えることがゆれる。
僕と君の関係がゆれる。
そもそも僕達の身体の中の電子だってゆらぎを持っている。
でも、物事をいくら細分化して、どんなもので作られているかを調べても、
その物事の本質は見えない。
例えば人間を知ろうとする時に、パーツを調べて、組織を調べて、細胞を調べて、DNAを調べても、
その人の何かを知ったことにはほとんどならない。
分かるのはきっと、ほんのささいな一部だけ。
その人をその人自身にしている不思議な力については、きっとそんなことじゃ分からない。
だからどうせ分からないなら、分けたところで分からないなら、
君の未来の幸せの場所まで、一緒にゆらゆら歩こうよ。
昔、どこかで誰かが描いていたっけ。大島弓子さんだったかも。
分けると分かるは同じ字だって。
だから、分かったら、分かれなくちゃならないって。
それを読んだ時、僕はすごく、さみしくなった。
分かるは怖れの始まりで。
触れるは痛みの始まりで。
それがほんとうのことだなんて、なんてことだ。
なんてことなんだ。
2011.11.27 Sunday
また眠れなくなってきた。
病院行きたくない。
でも今は、通い続けるしかないんだよね。転院も考えてはいるけれど。
入院は絶対に嫌なので、がんばる。
でも、こうも体調がよくならないと、僕が悪いのかなっていう考えに取り憑かれる。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
それは、答なんて出さなくていいこと。
答の出ないことに、耐えるべきこと。
誰の手も借りたくない、っていうのは傲慢だけど、
やっぱり、ひとりでも立っていられるようでいたい。
なんてゆうか、いい意味での個人主義っていうのが、この国には足りない気がする。
人間は、特に日本人は、集団で思考するようになると危険だと思う。
もっと自分ひとりで、自分のアタマで、考えよう。考えようよ。
それはすごく幸せなこと。それはもっと、歓ぶべきこと。
◆
繰り返すピアノの音色。
僕には絶対に作り出せない綺麗な音の粒が、僕の部屋のスピーカーから流れてくる。
でも、敵は強大な方がいい。
絶対に倒せないんじゃないかって思うくらいでいい。
音楽は、作り手にとっては勝ち負けじゃないけど、
聴き手にとっては多分勝ち負けなんだ。
くやしいね。それはなんて世知辛いことだろうね。