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リアル

ねえ世界。

僕の持っている語彙をめいっぱい使っても、

今の僕の精神状況を伝えるのは難しいんだけど、やってみる。

なんでそういうことをしなくちゃいけないかって言うなら、歌詞を書くために。

なんだけど。

ひとつの言葉に対しても、人間の数だけ受け取り方がある。

だから、「正確に」伝えることはほぼ不可能なんだけど、

生き方や考え方の近い同士なら、その精度は少し上がる。

自分のまわりがそういう人ばかりじゃないのは仕方ないし、当たり前なんだけど、

変わるのは、まわりも、自分もなんだよね。

だから同じ言葉と文法がずっと使えるとは限らなくて、

そのことが時々、すごく悲しい。

 

でもだから、人と話をするんだし、新しい本を読むんだし、

だけど、今を、今をって追いかけてばかりいるのは、やっぱり時々、すごく疲れる。

時々、ずっと後ろを向いていたくなる。

それでも、生きることは変わることだと知る。

僕はもう、生きるって決めてるから、変わることを怖いけど受け入れる。

 

どうせみんないつかは死ぬんだし、

だけど、死は誰にでも平等だっていうのは大嘘だ。

だからまだ、その先がある気がする。

太陽が寿命を迎えても、宇宙が寿命を迎えても、まだ先がある気がする。

生まれ変わりって、あるのかな。

僕はできればこの意思は、僕で終わりにしたいなあ。

そう思って、僕の前世について、ココロの底の底の方、ユメでみる世界の細かいところまで考えてみる。

あまり役に立たないから、ユメやユメ占いについて考えるのは、いつの間にかやめてしまったけど、

もう一度やってみる。

 

 

僕たちは、神様がゲームをしている時のキャラクターみたいなものだと言う人がいる。

僕たちにはゲームのルールも、ゲームをしている神様のことも、認識できないとするなら、

それを否定することもできないわけだけど、

そのゲームをしている神様だって、別のもっと大きなルールとゲームと神様のキャラクターかもしれない。

思考は自由に思えるけれど、

一旦入れ子構造を考えてしまうと、自由な思考もそこで不自由になる。

何かのニュースで、昆虫のバイオマスがすごく減少しているって聞いた。

そういうことの方が、リアルに怖い。

いのち。

ってなんだろうね。

僕は、石ころひとつにも、雨のひと粒にも、水素原子1コにも、

命が宿っていると思えて仕方ない種類のヒトだけど、

逆を考えれば、もっと大きい命もある。

さっき書いたように、太陽の命、宇宙の命、そしてもっと、もっと大きなものの命。

だけど同じ命。

なんだと思う。

怖い、って思うことさえ大きな流れの一部なら、

それに逆らうことに、そんなに大きな意味はない。(少しはあると思うけども。)

 

たくさんの命が集まって、大きなひとつの命を作る。

逆に、ひとつの命は、無数の命に分解される。

だけど、命は命。

ここでも入れ子構造だよね。

たぶん、こういうことをカンペキに説明できる理論なんて、今の人間のアタマには無理なんだろうけど、

僕は、生と死にしか興味がない。

生老病死、喜怒哀楽、どんなにつらいことも、どんなにシアワセなことも、

結局ここに還ってしまう感じがする。

だから何、って言われても困るけど。

それが僕。

 

 

 

 

Lucy | essay | 18:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
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